一気に気温が下がったのを期に家の周りのイチョウの葉が一気に落ちた
「この風景ってこの時期だっけ」と思いながらも、やはりそれは壮観で見ごたえのあるものだった。
雪が積もった時も同じ事を思うのだが、こういうものの上を踏んで歩くとき、少しだけ罪悪感を覚える。一歩一歩踏みしめる度に絶妙なバランスで形作られた作品に蛇足をつけてしまっているのではないかと思ってしまう。
かなり自意識過剰で痛々しい感覚だと自覚しているが、やはりなんだか申し訳ないという気持ちは拭えない。
思い返してみれば元来そう言う人間だった。
小さな時からバイキングでは出されたばかりの料理にすぐ手を付けることができなかった
し、連作が並んでいる本屋の棚から真ん中の方の一冊だけを抜き取ることもできなかった。
どこかで何かを台無しにしてしまうのではないかと思ってしまう。
僕が「推し」と言う言葉を積極的に使えないのも同じ理由なのかもしれない。
「推し」と言う言葉に、なにかその対象に向かっての「連続性/接続性」みたいなものを感じ、それによって色々と台無しにしてしまうような気がするのだ。
この例えがあっているか分からないが、出された料理に勝手に調味料を足し、その上で過剰に褒めるような後ろめたさや傲慢さを感じてしまう。
他人がその言葉を使うのはなんとも思わないが、僕自身はあまり使いたくない。
最初の話からかなりズレたような気がする。
とにかく、イチョウの葉は綺麗で、それを踏むのは心苦しかったという話。
(岡部)
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